更新情報
2025年1月 茶況_No.410
産地情報
令和6年12月30日
茶 況
日本は石破新政権、米国はトランプ新政権により始まった2025年。混迷と紛争の続く世界と国際秩序の乱れ。先行きの不透明感や取り巻く環境が大きく変わり警戒感が高まっています。トランプ氏は就任演説で「米国第一主義」を改めて打ち出し自分の政策を断固として推し進めようとしています。懸念されるのはトランプ氏に歯止めをかける人々の不在です。露骨に自国の利益を優先しようとするトランプ氏は、対日圧力を強める公算は大きく、石破政権はどう向き合うのかが大きな課題となります。少数与党の石破政権にとっては党派を超えた合意形成を図る必要があり綱渡りの政権運営が予想される新年が幕を開け、私達はこれまでにない未知の領域に足を踏み入れました。
茶園は厳冬期に入り休眠していますが寒さに耐えながら新しい年を迎えました。茶園も今年はどんな展開になるのか先行きを心配しているように見えます。先日、掛川駅から南部の小笠山まで「遊歩会」にて歩いて来ましたが放棄茶園の多いのには驚かされました。中にはネギ栽培や他の農産物に切り替えた旧茶園もありましたが管理されていない茶園を多く目にしましたので先行きが心配されます。各地区で研修会が開催されています。各農家が生産した一番茶を持ち寄って互いに評価する互評会や海外輸出を見据えた有機茶の生産をテーマにした研修会などです。磐田市では「ポッカサッポロフード」がレモンの自社栽培を開始する説明会がありました。自社農園を構えるのは広島県に続いて2か所目となり、レモン栽培に関心がある茶農家など100人が参加しました。「安定した価格で全量買い取りする」との説明もあり茶栽培から切り替える生産者もあります。
2024年の静岡県荒茶生産量は前年比5.6%減の25.650tと発表されました。一番茶は増産の10.450t、二番茶は15%減の6.500t、秋冬番茶は12%減の8.700tと二番茶以降は受注生産に切り替える生産者が多く減産となりました。ピークの1975年には52.000tを超えていましたが茶価低迷による離農から茶園面積の縮小で約50年の間に生産量は半分に落ち込みました。単価は一番茶10%安の1763円、二番茶8%安の612円、秋冬番茶19%高の355円と秋冬番茶だけはドリンク関連の積極的な買いにより平均単価を底上げしました。リーフ茶需要の低迷により一番茶価格は2010年の2684円から2024年は1763円と14年間で35%下落しています。静岡県では「生産基盤強化に注力し産地維持につなげたい」と減産と単価安の悪循環から抜け出す対策をしていますが決め手を欠く状況は続きます。
産地では問屋間の荷動きは見られず静かな茶況が続いています。従来の販売ルートや商品だけでは先細りは避けられませんので新商品開発と新需要開拓は必須課題となっています。そして「変化するものだけが生き残る」と変化に対応した改革を進めています。
消費地では日本経済・個人消費など先行き不透明感が続く中で新年を迎え不安感はぬぐえません。消費者のライフスタイルが変わり、急須で飲むお茶の需要落ち込みが深刻化して明るい話題はまったく聞かれませんが「なんで売れないかでなく、どうしたら売れるか」
を考えると言ったお店もあります。消費者は確実にお店を選択しています。「このお店で買いたい」と言われるように丁寧な接客と満足度を徹底します。 生産者も小売店も産地問屋も減少して過渡期を迎え、業界を取り巻く環境はますます厳しさを増しています。
こん畜生
独特の経営感覚と強力なリーダーシップを併せ持ち「やらまいか」精神を貫き、浜松市の「スズキ」を世界的な自動車メーカーに育てあげたカリスマ経営者、鈴木修氏が94年の生涯を終えました。1979年に発売した軽自動車「アルト」は驚異的な低価格の47万円を実現して世間を驚かせ大ヒットしました。そして軽ワゴンの新しいジャンルを切り開いた1993年発売の「ワゴンR」は走りとデザインが軽自動車の基礎を築き、その後2004年の「スイフト」と快進撃を続け「スズキ」の礎をつくりました。1983年には未開の市場とされたインドに世界の自動車メーカーに先駆けて進出し成功をもたらしました。インドのモディ首相は「インドの自動車市場に革命をもたらした人」とその死を悼み、そして「世界の自動車産業の伝説的人物」と紹介し「勤勉さと細部まで行き届いた注意と品質への揺るぎない献身」を称えました。現在でもインドでのシェア1位を維持しています。「世界のスズキ」売上高5兆円の企業へ導きながらも「中小企業のおやじ」と自称し、人懐っこい笑顔で本音をさらけ出して向き合い、気づけばぐっと相手の懐に入り込んでいる豪放磊落な性格は周りの人々を引き付けて離しませんでした。会社の危機に直面するたびに持ち前の負けん気で「こん畜生。それが僕のバックボーンだ。」と幾度も危機を乗り越えてきました。米国GM、独VWとの資本提携解消の苦境に立った時には危機感から「こん畜生」の力がみなぎり苦境を乗り越えていったのです。2013年に政府が軽自動車税引き上げの検討に入ると「弱い物いじめをするな」と繰り返し発言するなど、分かりやすい言動で業界をまとめました。コンピューターならぬ「勘ピューター」と冗談めかして言う親しみやすい笑顔は多くの人々を引き付けました。その行動力と功績に県内の経済界からは「昭和の最後のワンマン経営者」と敬意の声が寄せられその死を悼みました。
人を引き付けて離さない「修イズム」とは何か
※雪ダルマを作るとき最初の「雪玉」が肝心です。雪玉を転がして雪ダルマを作るのですが最初の「雪玉」がダメだと上手に出来ません。逆に「雪玉」がしっかりとしていれば立派な雪ダルマができます。
※人間の能力の差は体力・気力・努力次第で簡単に逆転する。要は「やる気」次第だ。
※できない理由を言うな。どうすれば実現できるのかを考えよ。
※これだけは絶対に「よそに負けない」という特長のある会社を目指せ。
※トップダウンとはトップの号令で動くことではなく、トップが現場に下りて行くこと。
※「現場第一主義」ものづくりの原点は現場にある。現場にはお金が落ちている。現場のチェックを欠かさないこと。
本人は「僕の人生は社業の発展にがむしゃらに努力した、そしたら運とツキが向いてきた」と回想していますが、新しいことにチャレンジする挑戦の連続で最後まで諦めないその精神は遠州弁「やらまいか」そのものの人生でした。48歳で社長に就任し就任時3000億円だった売上高を5兆円のグローバル企業へと導きました。常に満足することなく貧欲に新しい商品・新しい市場を追い求め「挑戦こそがスズキの使命、お客さまの求める車をつくる」と現場と生活者の目線を忘れないで最後まで「修イズム」を貫き通した生涯でした。インド政府は25日に卓越した貢献をたたえる国家勲章「パドマ・ビブシャン」を授与すると発表しました。
底知れぬエネルギーを宿した鈴木修氏の挑戦と「こん畜生」の精神は後世に引き継がれます。修さん、お疲れ様でした。 合掌
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