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日本の茶祖「栄西禅師」
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皆さんこんにちは。
連休はいかがお過ごしだったでしょうか?
9月中旬と言えど残暑が厳しく、まだまだ秋の風物を感じるには少し早い気も致しますね。
さて、連休初日、私は海外からのお客様が訪れたので一緒に粟が岳へ登頂してきました。
粟が岳からの眺めは良く、また秋晴れということもあり、掛川の茶園、特に東山周辺を一望できるということでとても喜ばれますし、写真スポットとしても茶園を背景に最適です。
数年前に完成したテラスから見る景色は最高で、私自身も何度行ってもここからの眺めは好きです。
さて「かっぽしテラス」前に鎮座する「栄西禅師」の存在を皆さんご存じでしょうか?
掛川の茶園を一望し見守ってくれています。
私自身も、「栄西禅師は日本の茶祖と言われ、中国から種を持ち帰ってきた人」くらいしか知らなかったので、いい機会でしたので今回いろいろと調べてみました。
栄西禅師は日本臨済宗の開祖であり、誕生は保延7年4月(1141年)、現在の岡山県東部あたりの出身のようで、幼少から頭が良かったようで11歳より仏門の世界に入っていたようです。
その後27歳で博多より宗へ渡ったのですが、当時は遣唐使などの大陸渡航が300年絶えていた中での決死を覚悟した一大事だったようで、仏教への思いに覚悟が伺えます。
初回の渡航は5か月ほどで帰ってきたようですが、帰国後、インドへ渡り釈迦八塔を礼拝したいという思いが強くなり、19年後に再び宗を訪れたようです。
2回目の渡航では、結局インドへは渡れなかったようですが、4年ほど学びを深め、帰国の際に禅院で行われていた飲茶の習慣を日本でも行うべく茶の実を持ち帰ったのが日本のお茶の歴史の始まりです。
栄西は中国での4年間の生活の中で、茶の養生延齢の効力が認められたということと同時に、不眠覚醒作用が禅の修行において必要であり、禅宗の行事に茶礼が欠かせないことも、普及の動機として多くを占めていたようです。
栄西禅師の生存期間は1141年~1215年ですので、74歳まで生きられたということで、昔の時代で現代とさほど変わらないのでその効果は間違いなかったのかもしれません。
栄西禅師の有名な著書として「喫茶養生記」があります。
お茶の薬効から栽培適地、製法まで細かく記されているようで、なんでも当時の将軍実朝が二日酔いの際に、茶とこの書物を栄西より渡されたところ、たちまち治癒したとのことで、これにより上流階級の間で茶がもてはやされるきっかけになったということのようです。
この時に来た外国のお客様でも、もともとは抹茶などの文化は皆無な国であったのが、現代の若者は「健康」をキーワードに抹茶をはじめとした緑茶も、ノンシュガーで飲むようになり、その健康効果がとにかく注目されているとのことでした。
今も昔もお茶を飲むきっかけというのはさほど変わらないなと感じましたし、もっとこのあたりの魅力を伝えていくことが使命だなと感じました(‘ω’)ノ。
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