更新情報
2024年6月 茶況_No.403
産地情報
令和6年6月28日
茶 況
6/7から始まった二番茶の仕入は6/27の掛川北部、倉真・原泉の入荷をもって終了しました。二番茶は肥料で出ると言われますが、茶価安による減肥の影響と夜間の気温が低く芽伸びが鈍く盛期のないまま終了を迎えました。一番茶の下値が二番茶価格まで下がってしまったことから二番茶生産が始まる前から価格安が言われたために生産に消極的な生産者が多かったようです。二番茶前に農協が販売先の決まっていない荒茶は生産しないように、受注生産徹底を通知しましたので生産量は伸びず、減産の声が出始めてからは堅調な相場展開で推移し終了を迎えました。生産量は前年比20%前後の減産でしょうか。重油代・電気代・肥料代など生産コストは上がっていますので、これからも茶業を続けていけるのかの話題はよく耳にするようになりました。後継者難から廃業を決める生産者も多く放棄茶園が目立つようになってきました。農業で生活できる基盤が整わないと後継者もありませんので負のスパイラルに入り経営継続は厳しさを増しています。これから病害虫の発生しやすい季節に入りますので、こまめな茶園巡回をして適時防除を徹底していきます。県は急増する海外需要に対応した販路開拓や有機茶拡大への転換を推進して県茶業の振興に取り組んでいます。農家の所得確保を後押しするために特定の企業と交渉して契約栽培につなげ市況に左右されない、農家の経営安定に真剣に対応しています。
産地問屋は仕入した二番茶の仕上と保管作業を進めています。軟調地合いでスタートした二番茶でしたが、減産予想が出てからは相場が維持され終盤は底堅い値動きが続きました。必要とする品質と価格と数量を予め生産者に伝え、生産を継続する受注生産体制が確立されましたので、生産者と茶商が共に生き残ることを考え始めた二番茶でした。この体制がこれからも続くことが望まれます。昔は一番茶は専門店と産直業者が数量確保に動き盛況でしたが、急須で入れるお茶に馴染まない層が増えてからは一番茶の需要は減少の一途です。二番茶はスーパー納品業者と会社納品業者が主に仕入しましたが、自動販売機と給茶機の普及から会社需要は極端に減少しました。スーパー商品も、今年は原料を一番茶で手当てできたために、二番茶の必要数量は少量で間に合いました。結果、ドリンク原料が主な販売先となりましたが、これからもこの状況が続きますと低価格帯が増えて生産者の経営環境はますます厳しくなります。
消費地では店頭で「冷茶」の接茶をしながら夏には身体に優しい緑茶を奨めます。これから始まる「中元商戦」の核になるように「水出し煎茶」をPRします。水出し煎茶TBをボトルに入れて冷蔵庫にストック、冷蔵庫から出せば常に冷たいお茶が飲めて便利ですよと説明します。2ℓ入のペットボトル飲料より自家製の冷茶は、美味しくて、安くて、プラゴミの出ない環境にやさしい飲み物であることをアピールし、そして冷茶用マイボトルで緑茶のある夏の生活シーンを提案します。
農家の離農、茶専門店の減少、産地問屋の廃業など業界を取り巻く環境は予測のつかない状況が続いています。転換点に入ったことは分かっていますが、どう方向転換すればいいのか模索は始まったばかりです。
夏に最適!!水出し煎茶
水出し煎茶(ティーバッグ)
80g(5gx16)30袋入
卸価格450円 *「水出し煎茶」の原料は水出し専用の茶葉を使用して製造しています。抹茶入り
変化に敏感なものだけが生き残る
静岡県は、先日の県知事選で川勝平太知事から前浜松市長の鈴木康友新知事に変わりました。鈴木康友知事は水問題と南アルプス環境問題を考慮した上で静岡県、山梨県、JR東海の3者で合意書を作成し、トンネル工事に向けた調査を始め、日本再生を図る国家的プロジェクトが前進します。そして2027年以降にリニア中央新幹線の東京~名古屋間がリニアモーターによる磁気浮上方式に変わります。「汽笛一斉新橋を…」は、昔よく歌われた鉄道唱歌ですが、1872年(明治5年)新橋~横浜間で、日本で初めての鉄道が開通しました。あれから約150年、走るための燃料は石炭から電気に変わりましたが、線路は150年間変わらずの鉄路でしたので推進浮上式に150年振りに変わることになります。中国でリニアモーターが運転を始めたのは20年前で現在も運転中です。日本の鉄道も150年振りに変化を迎える時代に入りました。
今、世界は大きく変わろうとしています。変化しなければ生き残れない時代に入ったからです。電話は公衆電話からポケットベル、そして携帯電話からAIスマートフォンへと進化のスピードを上げています。車はガソリン車からHV(ハイブリッド)車や電気自動車に変わろうとしています。人工知能(AI)が生活を一変させることから、その普及と対応に世界中の企業が挙って巨額の投資を始めました。昔は国家プロジェクトであった宇宙探査も民間企業がロケットを打ち上げ宇宙産業にビジネス機会の創出と先行者利益を確保しようと競争しています。
昔は、地元に愛された商店街と小売業の王様であった百貨店が1億総中流と呼ばれた分厚い中間層を取り込んで成長しましたが、車社会になり若者世代になり、ネットが普及して総合スーパー、ショッピングモール、コンビニ、ネット販売、大型専門店、アウトレットなど買う場所も多岐に渡るように変化しました。そして今、人口減少が加速し高齢化が進んで市場縮小に直面して苦戦しています。かつては一大勢力を築いたダイエーも今はありません。競争に敗れて、イオンの傘下に入ったスーパーも数多くあります。かつて日本一の売場面積と売上を誇った西武池袋本店も売場面積を半分にして再建を計っています。逆に三越伊勢丹は経営戦略を見直し、インバウンド需要を取り込んで好調です。かつて「世界の亀山モデル」の液晶テレビで一世を風びしたシャープは液晶パネルの生産から撤退して、ソフトバンクと組んでAI(人工知能)の分野で再建を図ります。昔は優良企業であった東芝も従業員4千人を削減し半導体事業を強化して経営再建を進めています。一方「ウオークマン」で世界の頂点を極めたソニーは、その後一時業績が低迷しますが、現在は過去最高益を記録しています。ゲーム事業・映画事業・半導体事業・金融事業と変化したことが成功の要因です。マーケットの変化を一早くとらえ会社と経営戦略を変化させたことが現在につながっています。変化していくことが一番のリスク回避だったわけです。将来を見据えたトップの経営戦略によって明暗は大きく分かれました。
時代に添って変化しなければ生き残れないことは明確です。「目のつけどころがシャープでしょ。」でヒット商品を次々と世に問うたシャープが、20年ぶりにスローガンを刷新しました。「目指してる、未来が違う。」次のステップに進むために変化することを決断したのです。
そごう西武も東芝もシャープも、その他時代に乗り遅れた企業は立ち直ることはできるのでしょうか。「変化に敏感なものだけが生き残る。」とは進化論のダーウィンの言葉ですが、常に変わり続ける世界に対して企業も自在に動き変化することが求められています。そして、流れる水のように変化する柔軟性が重要です。水は止まると腐ってしまうから流れる、そして動き変化する、それは大きな力となります。
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