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#食欲の秋 発動
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皆さんこんにちは。
10月1日です。
まだまだ暑い日が続きますが、朝晩のひんやりさには流石に秋を感じさせてくれます。
さて、突然ですが「秋」といえばなんですか?
「お茶~!!」と言いたいところですが、まだまだ食べ盛りの私としてはやはり、秋と言えば「食欲の秋!」です。
ということでこれからの季節お茶に最適な茶つみの里の「どら焼き」をご紹介いたします。
現在、茶つみの里では「小豆」と「抹茶」の2種類のどら焼きを販売しています。
それぞれ材料にこだわり、国産小麦に静岡県産の新鮮卵を用い、北海道の小豆に、お茶と言ったらの静岡の抹茶を使用しており、職人が丁寧に焼き上げた逸品となっております。
詳細はこちらをご覧ください↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
さて、皆さん「どら焼き」って、誰が、いつ、どのような経緯で作ったかってご存じですか??
当たり前のように昔からありすぎて、また某有名マンガのキャラクターが大好きでもあり、我々も小さなころからその存在を知っていたのですが、今まで誰が作って、いつからあるなんて考えたこともありませんでしたが、この記事を書いていたらふとそんなことを思い調べてみました!
自分なんかは江戸とか下手したら鎌倉時代から存在するものなのかくらい思っていたのですが、なんと初めて生み出されたのは明治初期!とのことでした(全然最近!ま、考えてみればカステラも明治初期だからそんなものか…)。
東京の日本橋にある「梅花亭」の3代目店主、森田清兵衛さんによりあみ出されたのが発祥のようです。当時は四角に包んでいた皮を丸くして出したのが始まりのようで、その丸が金属製の打楽器「銅鑼」に似ていたことから「どら(銅鑼)焼き」になったようです。
なんでも当時のもの皮は今ほど厚くなく薄い皮だったようで、梅花亭では今も同じ製法で作られているようです。
(丸にする前のお菓子は江戸時代ごろに確立された製法で、平鍋で薄いクレープ状の皮を作り、四角に固めたあんを皮で包んで食べるという、きんつばの皮包みバージョンといったイメージのお菓子だったようです)
当時、森田さんは幕末に徳川家の将軍一行が隅田川を移動する際に使用した「江戸幕府御座船(ござぶね)」に吊り下げられていたドラを見て、そこからヒントを得て、四角のあんを薄皮で包むのではなく、しっかりと包み込む形の「どら焼き」を作ったのが始まりのようです。どら焼きが他のお店でも売られるようになり、「厚めの生地で挟む」形へと変化したのは、明治時代に西洋からパンやホットケーキの文化が入ってきた影響のようで、時代とともに変化していったようです。
いつどこで、どんなことがきっかけでヒット商品が生まれるかわからないので、私も日々様々なことからヒントをもらいながら精進してまいります!!
では皆さん、食べすぎによる増量にはくれぐれも注意いたしましょう!
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